嫉妬に忙しい人は自己評価が低いのか?いつの間にか承認欲求がなくなって、その分やる気もなくなったアラフィフが考察

嫉妬というのは、されるのとするのではどちらがマシなんでしょう?私には、する方がずっと苦しいのでは、と思えます。今回は、嫉妬と切っても切り離せないらしい承認欲求と、承認欲求がなくなったためにやる気もなくなった私の、一体どっちが人生にとってよいのか?についてです。

 

承認欲求がなくなったら、自由になりすぎ、やる気がなさすぎて
困っている私

 

私のような人間にも、強い承認欲求がありました。それは大体、以下のような感じ。

 

優秀な人間と思われたい。
仕事ができる人と思われたい。
人並だと思われたい。

 

 

結構、大したことない感じがしますね。

 

優秀と思われたい

 

私の場合、優秀と思われたい、というのがもしかしたら「英語がうまければ優秀と思われるかも?」という部分と結びついていたのかも、と思います。海外に長年住んでいるので、英語は昔よりはうまくなりました。こちらに3,4年住んでいる程度の人よりは上手いです。(でももちろんネイティブ並ではないし、真性バイリンガルでもない)
日本に帰って、披露する場所もないし、たまに外国人に「英語うまいね~」と言われることもありましたが、ほぼどこにもアピールできずに終わっております。でもまあ、自分の中で満足しているのか、優秀と思われたいという承認欲求が消えたようです。(ちなみに優秀かどうかと英語力はあまり関係がないです)

 

 

仕事ができる人と思われたい

 

これは、周りの友人にライバル心を多少燃やしていた時にそう思っていたようなのですが、「私はすごいのよ」と威張ってくる人が友人ではなくなったということ、友人のほとんどが子供を持ち、主婦になって、キャリアだなんだというところから下りてしまったからなのか、
むしろ自分も「お金がそんなにもらえなくていいから、本当にやりたい仕事をしたいなあ」と思うようになりました。

もともと、私達って、この世界で、無理やり競争させられていますよね。
でも、人と比べて幸せかどうかとか、でもその幸せというものは結局、どれだけ質のいいものを、たくさん持っているか、ということだったり。
私には、「自分の給料がいくらになったのよ」とか「不動産のこれこれを買って持っているのよ」とか自慢する知人がいたのですが、ブッダの言葉を知って、自分の心持のほうが正しい、と確信を持つことができました。

 

ブッダの言葉

この世で食物や飲料を(多く)所有している人は、
たとえ悪いことを行っていても、
彼は(愚かな)人々から尊敬される。

 

この食物や飲料を、というところを「お金を」に変えたら、腑に落ちすぎませんか?

また、こういう言葉もあります。

 

ブッダの言葉

愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。
上席を得たい、
権利を得たい、
利益を得たいと、
常にこの欲のために苦しむ。

 

 

まえまえから思っていたけれど、多ければ多いほどいい、なんてことはないよなあと。

 

 

バシャールも言っています。「やりたい時にやりたいことができるのが真の自由」だと。

何かをやりたい時にお金がなければそれは不幸だけれど、そんなとてつもない贅沢とか、したいですかね?結局、持たなければならない、経験しなければならない、と思い込まされていただけなんじゃないか、と人々は目覚め始めている気がします。

 

私が唯一、羨ましいなあと思うのは、他人が持っている「旦那」でも「子供」でも「お金」でも「充実した仕事」でもなく、同い年か年上なのに「若く見える」「綺麗である」ということだけですね。(変ですか?)でも私自身も、これから巻き返すやる気に満ちているので、(これだけはね)全く心配しておりません。リプライセルの緑も買いましたし(またレビューします)、神コスメも発見したので、日本から取り寄せし、若返りを画策しています。(またこれもレビューしたいと思います!)

 

 

人並になりたい

 

これがそもそも、私の中でものすごく強い欲求で、初めの二つなど目ではなかったのですが、なぜかこれもなくなりました。人並になりたすぎて、私は結婚がしたいとか、フルタイムの仕事に就かなきゃとか、思っていたんですよ。

 

ハイ、私って、変わってるんです。

 

アラフィフになって、もがいた末に、やっと認めることができました。

 

 

承認欲求が強すぎる人は、嫉妬心が強い

 

承認欲求というのは、他人に認められたいという欲求ですよね。自分が自分を認められれば、他人からの承認など必要なくなるわけです。褒められたら嬉しいけれど、別に褒められなくても「知ってます」という状態ですよね。
自分に自信がない、イコール自分に対して愛がないから、他人からの愛がほしくなるんだと思います。

 

 

嫉妬心の強い人は、他人の快適さ、楽しみさえも嫉妬の対象になる。

 

承認欲求が強すぎるのと、嫉妬心が強いのは密接に結びついているようなのですが、女性だと異性関係が闇雲に派手になったりするようですね。
嫉妬の対象として、他人が楽しそうにしている、快適さを楽しんでいる、充実した趣味を持っている…など、どんなことでも嫉妬の対象になってしまうようです。

そういう人は、なかなか、かなり苦しい人生だろう、と思います。

 

アドラー心理学では

 

自由とは他者から嫌われることである。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことは出来ない。つまり自由にはなれない。

引用:嫌われる勇気

 

と考えるそうです。

 

私もかなり、承認欲求からいつの間にか自由になり、自由で幸せな人生への第一歩がそこまできているのかな、と思ったりします。

 

幸せって結局、個人の主観なんですよ。他人がどう思っているか、本当に関係がない。

 

考えたら、私はいつも職場などで、女性に嫉妬され、嫌われてきました。
どれだけ取り繕っても駄目でしたね~。

そして、承認欲求イコール他者の目がなくなって、フルタイムで英語を使ってグローバル企業で海外で働く、などということに対してのやる気が、
全くなくなってしまいました。この辺りは、大丈夫なのだろうか、自分?とも思いますが…。

 

もっと違う道があるのではないか?
もっと楽しく幸せな道があるのではないか?

 

今、そんな風に感じています。

 

本日もお読みいただき、ありがとうございました!